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こんにちは。おすすめブックLabo運営者の「本案内人S」です。
殊能将之さんの名作ミステリー小説を読んだ後、ネットで「ハサミ男 つまらない」といった言葉で検索してこの記事にたどり着いた方も多いのではないでしょうか。本作は素晴らしい叙述トリックだという声がある一方で、主人公が太っているのか美人なのかという矛盾点や、物語に登場する医師の正体に納得がいかないという意見もよく耳にします。また、岡島部長の嫁についての唐突な描写や、犯人の正体や、その動機の弱さ、さらには日高の死亡という展開や堀之内の結末にモヤモヤを抱えている方もいるかもしれませんね。そして何より、最後の一行が意味する不条理さに、スッキリしない読後感を持った方もいるかなと思います。この記事では、なぜ本作が一部の読者に受け入れられず、つまらないと感じさせてしまうのか、その深い理由を紐解いていきます。
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- 叙述トリックに対する違和感や拒絶反応の理由
- 登場人物の不可解な設定と狂気がもたらす認知の歪み
- 真犯人の動機や事件の結末に対する不満の正体
- 読後感を大きく分ける最後の一行の真の意味
ハサミ男がつまらないと言われる理由
本作は日本のミステリー史に残る傑作とされていますが、その特殊な構成や狂気の世界観ゆえに、読者の賛否がくっきりと分かれる作品でもあります。ここでは、物語全体を通して読者が不満を抱きやすいポイントや、仕掛けられたギミックについて詳しく解説していきますね。本作の深い部分に触れるため、物語の根幹に関わるネタバレを含みます。まだ未読の方はご注意くださいね。
物語前半の推進力の欠如とノイズ
物語の序盤から中盤にかけて、本筋の謎解きに直接関係しない情景描写や、主人公の衒学的な思考、自殺未遂に関する詳細な描写が延々と続く点も読者の不満を生む要因です。また、ハサミ男が自らマスコミの渦巻く葬儀に出席するなど、異常犯罪者としての「痕跡に対するリスク管理」に矛盾する行動も描かれます。これらが純粋なテンポの良いスリラーや犯人当てを期待する読者にとっては「読み進めづらい」「ダレる」といった不自然なノイズとなり、「つまらない」という評価に直結しています。
叙述トリックへの拒絶反応
本作を語る上で絶対に欠かせないのが、読者の先入観を鮮やかに逆手に取った見事な仕掛けです。しかし、皮肉なことにこの叙述トリックそのものが、「つまらない」「納得いかない」という評価の大きな原因にもなってしまっているんですよね。
読者を突き放す「信頼できない語り手」
一般的なミステリー小説を読む際、私たちは無意識のうちに「探偵役や語り手の視点は正しいものだ」と信用しながらページをめくります。作者と読者の間には「読者に嘘をついてはいけない」という暗黙のフェアプレイの精神があるからです。しかし本作の語り手である主人公は、重度の精神疾患を抱えており、現実を正しく認識できていない「信頼できない語り手」として設定されています。
読者は物語を通じて、マスコミの報道や被害者が女性であること、そして第一発見者として登場する太った男・日高光一の存在などから、「ハサミ男=太った醜い男」という強固なイメージを脳内に植え付けられます。しかし、それはあくまで精神を病んだ主人公の「歪んだ主観」を通した狂気の世界に過ぎません。後になって「あなたが今まで読んでいた現実はすべて狂人の妄想でした」と突きつけられるわけですから、純粋な論理パズルを楽しみにしていた読者にとっては、足元をすくわれるような感覚に陥ります。
読者が不満を抱くポイント
作者は文章上で「明確な嘘」は一切ついていません。「わたしは太っている」という記述も、主人公の歪んだ自己認識に基づいた真実だからです。しかし、主要人物の年齢をわざと同い年の「26歳」に揃えたり、意図的にミスリードを誘うような回りくどい情景描写を重ねたりする点が、一部の読者には「作者が読者を騙すための強引でアンフェアな設定」に映ってしまうのです。謎解きのカタルシスよりも騙されたことへの徒労感が勝ってしまうと、「つまらない」という評価に直結してしまうのかなと思います。
「太っているのに美人」という矛盾点
本作の叙述トリックの核となるのが、主人公の容姿に関する極端な「認識のズレ」です。この矛盾点が、物語の根幹を支えつつも、読者を大いに混乱させる要因となっています。
自己認識と客観的現実の激しい乖離
作中で主人公(ハサミ男)は、自身のことを何度も「太っている」「醜い肉塊だ」と自嘲的に語ります。さらに、他人の視線に対しても「こんな太った不格好な人間を見るなんて不愉快だ」といったネガティブな感情を抱いています。この一人称の語り口と、現場に偶然居合わせた太った男性「日高光一」の存在が重なることで、読者は完全に「ハサミ男=太った男(日高)」だと錯覚してしまいます。
しかし、中盤以降で明かされる客観的な現実はまったく異なります。実際のハサミ男は「安永知夏」という26歳の女性であり、警察や周囲の人間からは「化粧っ気はないがふっくらとした健康的な体つきで、グラマーかつ目鼻立ちが整った非常に美しい女性」として認識されているんですよね。自分がとてつもない美人であるにもかかわらず、自己認識の中では醜い化物だと思い込んでいる。この乖離はまさに異常事態です。
| 認識の対象 | 主人公の主観的認識(テキスト上の記述) | 客観的現実(隠された真実) |
|---|---|---|
| 容姿・体型 | 自分は醜く太った肉塊であり、他者の視線がひたすら不快。 | グラマーで目鼻立ちの整った、非常に美しい女性。 |
| 遺体発見時の状況 | 自分一人で標的の死体を発見し、通報せずに現場から立ち去った。 | 現場には「日高光一」という太った男が同席していた(彼に罪を擦り付ける)。 |
この強烈な認識の断絶こそが、彼女が社会から完全に孤立し、殺人を犯すに至ってしまった精神的な病理の深さを巧みに表現しています。しかし、エンタメとしての爽快感や、論理的な裏付けを求める読者からすると、「ただの主人公の思い込みだったのか」と少し拍子抜けしてしまい、結果的に「矛盾だらけでスッキリしない」という感情を抱かせてしまうのも無理はないかもしれません。
医師の正体が示す認知の歪み
物語の中で、主人公が自殺未遂を起こすたびにふらりと現れる「白髪で丸眼鏡の医師」。常に皮肉めいた言葉を口にし、主人公に真犯人を探すよう促す彼の存在も、多くの読者を戸惑わせ、評価を二分する大きな要素となっています。
妄想人格と主人格の逆転劇
序盤から中盤にかけて、この医師は主人公のよき相談相手のような立ち位置で描かれます。しかし物語の終盤、初雪が舞うベランダでの対話において、精神医学における常識を覆すような衝撃の事実が明かされます。実は、この医師は実在する人物ではなく、主人公が自己防衛のために生み出した幻覚(二重人格)だったのです。さらに驚くべきことに、「医師」が妄想人格なのではなく、狂気の世界に生きる連続殺人鬼の「ハサミ男(わたし)」こそが、病気の症状として作り出された妄想人格であり、倫理観や罪悪感を持つ「医師」のほうが主人格であったと宣言されます。
多重人格(解離性障害)は、過酷な現実や耐え難い苦痛から精神を守るための防衛機制として、本来の人格から別の自己を切り離すことで生じるとされています(出典:厚生労働省『知ることからはじめよう みんなのメンタルヘルス 解離性障害』)。主人格である医師は、少女を絞め殺す際の感触や深い罪の意識に耐えきれず、殺人を淡々とこなすための「機能」としてハサミ男という人格を切り離したわけですね。
※本記事で触れている解離性同一性障害や統合失調症的な症状の描写、および関連する見解は、あくまで小説内のフィクションとしての表現であり、一般的な目安を示すものです。医学的な断定を行うものではありませんので、実際の症状や治療に関する正確な情報は医療機関の公式サイトをご確認いただき、最終的な判断は必ず専門家にご相談ください。
ミステリーの作劇上、この医師は「真相を最初から見通している名探偵」としての役割を担っています。一人称視点で物語を進めるため、主人公自身がすべてに気づいてしまうと読者に謎を提示できないからこそ、もう一つの人格を分離させて「ワトソン役」を演じさせていたのです。つまり、同一人物の内面において、「ホームズ(医師)」と「ワトスン(わたし)」の役割関係を構築するという非常に高度なテクニックが使われています。しかし読者からすると「今まで読んでいた緻密な推理は、すべて一人の狂人の脳内会話だったのか」という強烈な徒労感を感じやすく、これが「支離滅裂だ」という批判に繋がっていると言えます。
岡島部長の嫁が意味するもの
物語の中盤で唐突に登場する「岡島部長の嫁」というフレーズ。インターネットの検索窓にも関連キーワードとしてよく出現しますが、ミステリー好きなら「これは事件を解き明かすための重要な伏線なのでは?」「レッドヘリング(読者の目を逸らすための偽のヒント)かも?」、あるいは「同性愛を示唆しているのか?」と深読みしてしまいますよね。
あり得ない日常への絶望と対比
岡島とは、主人公がアルバイトをしている氷室川出版の50代の部長です。作中、主人公(知夏)は岡島部長から正社員への登用を勧められ、自らの将来について思考を巡らせるシーンがあります。「キャリアウーマンとして生きていくのか」、それとも「自分に好意を寄せる若手刑事(磯部)と恋愛をして、警察官の妻におさまるのか」。さらに思考は飛躍し、「岡島部長の嫁」のように、家庭に入って平穏な生活を送る一般的な女性の姿を想像します。
しかし、重度の精神疾患を抱え、連続殺人鬼としての狂気に支配されている彼女にとって、そのような平穏な日常や一般的な未来は、即座に「どれもありえないこと」として冷酷に否定されます。つまり、この「岡島部長の嫁」という言葉は、事件の真相に迫るミステリー的な伏線では一切ないのです。
これは、彼女がいかに正常な社会生活から完全に乖離してしまっているか、そして彼女の心の奥底に眠る「普通の人間になりたかったけれど、永遠にそれは叶わない」という絶望と虚無感を浮き彫りにするための、極めて文学的な対比装置として機能しています。ミステリーとしての論理的な繋がりだけを追っている読者にとっては、「なぜ急にこんな無意味な妄想が差し込まれるんだ?」とノイズに感じてしまい、物語のテンポを阻害する「つまらない要素」として受け取られがちです。
最後の一行の圧倒的な不条理
本作を読み終えた後、読者の心にもっとも強烈な印象を残し、評価を決定づけるのがエピローグの「最後の一行」です。この最後の一行に込められた意味を理解するかどうかで、本作が単なるミステリーに留まらない傑作である理由がわかります。
交わることのない決定的な断絶
真犯人(模倣犯)が死亡し、身代わりの日高にすべての罪を着せることに成功した主人公(安永知夏)は、全く疑われることなく病院のベッドで横たわっています。そこに、彼女にほのかな恋心を抱く若手刑事・磯部が見舞いに訪れます。磯部は目の前にいる女性が血も涙もない連続猟奇殺人鬼だとは夢にも思わず、「クリスマスまでに退院できたら食事にいきませんか」という言葉を飲み込みながら、純粋な好意と労わりの視線を向けて病室を去ります。
しかし、磯部が去った後の主人公の独白は、読者の安堵感を一瞬にして粉々に破壊します。彼女は、磯部が現実には存在しない幻覚の「医師」と会話をしていたと本気で信じ込んでおり、さらに自身に向けられた純粋な優しい視線を、「太った女を見るのが、そんなに珍しいのだろうか」と、好奇と侮蔑の目として完全に歪んで受け取ってしまうのです。
ミステリーの枠を超えた文学的余韻
さらに結末の直前には、「パパ」と呼ばれる父親(医師そっくりの男)が見舞いに現れ、幻覚の医師が「いかん、ライオス王のお出ましだ」と逃げ出すシーンが描かれます。ギリシャ神話で息子に殺されるライオス王の暗示は、知夏の精神崩壊の根底に「父性のトラウマ」や「近親憎悪」が潜んでいることを示唆しており、彼女の人格がさらに深く分裂していく虚無性を象徴しています。
一般的なミステリー小説は、犯人が捕まり、事件の謎がすべて解き明かされて「日常の秩序」が回復して終わります。しかし本作では、主人公の認知の歪み(狂気)が何一つ改善されず、他者とのコミュニケーションが完全に断絶したまま幕を閉じます。磯部刑事の優しさは1ミリも彼女に届かず、彼女は再び新しい標的の少女を見つけて終わるのです。一切の救いもカタルシスもないこの不条理な結末は、スッキリした読後感を求める読者には「最悪の後味」として嫌悪されますが、人間の深淵を描いた文学作品としてはこれ以上ないほどの余韻を残していると言えます。
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結末から読み解くハサミ男がつまらない理由
物語の謎が明かされる終盤の展開も、「せっかくの盛り上がりが期待外れだった」と感じる読者が多い部分です。ここでは、真犯人の正体や事件の幕引きの描かれ方から、なぜ不完全燃焼に陥りやすいのかを考察していきますね。
犯人の動機が弱いと感じられる背景
連続殺人鬼「ハサミ男」の犯行を模倣し、第3の標的であった女子高生・樽宮由紀子を殺害した真犯人。その正体は、事件を捜査するために本庁から派遣されてきたエリート犯罪心理分析官の堀之内靖治でした。警察側の頭脳として物語を牽引していた彼が模倣犯だったという展開自体は、ミステリーとして非常に大きな衝撃をもたらします。
エリート官僚の俗物的な自己保身
しかし、読者を落胆させるのはその「殺人の動機」です。堀之内は、被害者である由紀子と個人的な肉体関係(援助交際)を持っていました。虚無感を抱える由紀子から「妊娠した」という虚偽の告白を受けた堀之内は、自らの輝かしいキャリアと家庭が崩壊することを極端に恐れ、衝動的かつ計画的に彼女を絞殺したのです。そして罪を逃れるために、世間を騒がせていた「ハサミ男」の手口を模倣しました。
この動機は、ある意味で非常に生々しく、人間臭いものです。ですが、異常犯罪者である本物の「ハサミ男」と、警察の天才プロファイラーによる「高度な知能戦・サイコパス同士の対決」を期待していた読者からすると、このあまりにも俗物的で身勝手な自己保身という動機の「小物感」が、カタルシスを大きく削いでしまう原因になっています。「なんだ、ただの保身のための殺人か」と拍子抜けしてしまうことで、物語全体のスケールが急激に縮小したように感じられてしまうのです。
自滅による幕引きへの不満
エリート官僚という立場と捜査本部の権限を悪用し、第一発見者の日高光一を「真のハサミ男」に仕立て上げて捜査を意図的に誘導していた堀之内。彼の迎える最期もまた、ミステリーとしてのカタルシスを弱める要因として指摘されがちです。
論理的解決ではなく自滅による幕引き
物語のクライマックス、安永知夏(ハサミ男)の病室において、堀之内はすべての真相を見透かした「医師(知夏の主人格)」によって論理的に完全に追い詰められます。自らの工作がすべて露見し、キャリアも逃げ場も完全に失ったことを悟った堀之内は、ハサミ男(知夏)に銃を奪われ、彼女が自身の拳銃自殺を図る(失敗に終わる)というパニックの中、すべての逃げ場とキャリアを失い、最終的にその場で自らの頭を撃ち抜き、拳銃自殺を遂げてしまいます。
伏線の回収や、堀之内を追い詰める心理戦は見事の一言に尽きます。しかし、警察が決定的な証拠を集めて彼に手錠をかけるといった「正義の鉄槌」が下されるわけではなく、犯人の突発的な自滅(自殺)によって事件が強制終了してしまう展開は、純粋な謎解きパズルを楽しみたい読者にとっては「出口の論理が弱く、偶然に頼っている」と感じられがちです。エリートの虚栄心が、精神を病んだ連続殺人鬼によって粉砕されるという強烈な皮肉が込められた結末ではあるものの、勧善懲悪のスッキリとした解決とは言い難いため、モヤモヤが残ってしまうんですよね。
「誰が誰を殺したか」の分かりにくさ
終盤にかけての怒涛の展開は、誰が誰を殺したのか、そして誰がどう生き残ったのかという事実関係が非常に複雑に絡み合います。読者が状況を整理しきれないまま物語が終わってしまうことも、「理解不能でつまらない」という評価に繋がる一因です。
倫理観の欠如が生む混沌とした状況
改めて事件の構図を整理してみましょう。まず、女子高生・樽宮由紀子を殺したのは「模倣犯である堀之内」です。ここまでは明確です。しかしその後、本物のハサミ男である「主人公(知夏)」は、自らの身の安全を完全に確保し、これまでの連続殺人の罪を清算するために、無実の民間人である「日高光一」を殺害します。さらに知夏は、日高殺しの罪を、目の前で自殺したばかりの堀之内に擦り付けるという恐ろしい隠蔽工作を行います。
これにより、警察組織は「日高光一こそが本物のハサミ男であり、彼と堀之内が相打ちになって死亡した」という完全に誤ったシナリオを信じ込まされてしまいます。主人公自身は「事件の巻き添えになった可哀想な被害者」として悠々と生き延びるわけです。この徹底して冷酷な立ち回りと倫理観の欠如こそが、彼女が本物のサイコパスであることの最大の証明なのですが、読者としては感情移入する対象がどこにもなくなり、悪が勝利する混沌とした状況に突き放されたような感覚に陥ってしまうのです。
日高の死亡という理不尽さ
本作において、もっとも救われず、読者の胸を痛めつける被害者が太った男性の「日高光一」です。ネット上で彼の死についての検索が多いのも、そのあまりの不遇さに納得がいかない読者が多いからでしょう。
スケープゴートにされた無実の男
日高光一は、読者にも警察にも物語の中盤まで「ハサミ男の正体」だと誤認させられていた人物です。彼はフリーライターの真似事をして事件の現場をうろついていたという不用意さはあるものの、連続殺人事件とはまったく無関係の、ただの少し冴えない一般人に過ぎません。たまたま死体の第一発見者として公園に居合わせてしまったばかりに、真犯人である堀之内によって「ハサミ男の有力容疑者」として警察のスケープゴートにされてしまいます。
そして最終的には、本物のハサミ男である主人公の手によって、自身の罪を被せるための都合の良い「道具」として冷酷に殺害されてしまいます。何も悪いことをしていない彼が、すべての罪を被せられたままこの世を去るというあまりにも理不尽で無慈悲な展開は、エンターテインメントとしての「正義の勝利」や「因果応報」を期待する読者の心を深くえぐります。「いくらなんでも日高が可哀想すぎる」「胸糞が悪くて納得できない」という強い反発を生むのは、むしろ読者がまともな倫理観を持っているからこその自然な反応だと言えます。
まとめ:『ハサミ男』が突きつける認識の限界
ここまで、本作に対する不満や疑問のポイントを徹底的に深掘りしてきましたが、ネット上で「ハサミ男 つまらない」という評価が一定数存在する理由は、決して作品のクオリティや文章力が低いからではありません。むしろその逆です。
認識の限界を突きつける傑作
この批判の声は、作者である殊能将之さんが、本格ミステリーが持つ「読者へのフェアネス」という暗黙のルールを意図的かつ巧妙に破壊し、精神に異常を来した人間の「絶対的な孤独と認知の歪み」を完璧にシミュレーションしてみせたことに対する、読者の戸惑いや強烈な精神的摩擦の表れなのです。
私たちは普段、いかに「自分の主観」や「先入観」という不確かなレンズを通して世界を見ているか。本作は、そんな人間の認識そのものの限界を冷酷に突きつけてきます。主人公は最後まで自分が醜い男であるという幻影から抜け出せず、読者はその狂気の密室の恐ろしさを外側から見下ろすことしかできません。スッキリしない後味の悪さ、一切の救いがない不条理さこそが、賛否両論の渦を巻き起こしながらも本作を不朽の傑作たらしめている最大の要因です。一度真相を知った上で、彼女の狂気の世界がどう描かれていたのか、ぜひもう一度違った視点からこの名作を味わい直してみてはいかがでしょうか。
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