
こんにちは。おすすめブックLabo運営者の「本案内人S」です。
SNSなどで話題になった漫画作品について調べていると、『この世は戦う価値がある』(こだまはつみ先生作/週刊ビッグコミックスピリッツ連載)はつまらないという感想や、途中で打ち切りになったのではないかという噂を見かけることがあるかもしれませんね。
実際のところ、最終巻である5巻での結末はどうなったのか、ネタバレにならない範囲で知りたいという方も多いのではないでしょうか。
また、タイトルの元ネタが映画『セブン』やヘミングウェイの名言であることの意味や、登場人物の心理描写、そして生きるのがしんどいという虚無感を抱えたときの対策としてこの作品がどう読めるのかなど、奥深いテーマ性に興味を持っている方もいらっしゃると思います。
この作品は、読む人によって評価が大きく分かれる少しクセの強い漫画ですが、その背後には現代人が抱えるリアルな痛みが隠されています。
今回は、一部でネガティブな声が上がる理由を紐解きながら、作品が持つ本当の魅力について、私なりの視点でじっくりとお話ししていきたいなと思います。
- つまらないと言われる理由と読者のモヤモヤの正体
- 打ち切りではなく全5巻で完結した物語の結末
- タイトルの元ネタやアドラー心理学から見る作品の深み
- 虚無感への対策として現代人に刺さるメッセージ
『この世は戦う価値がある』がつまらないと言われる理由
まずは、検索窓に「この世は戦う価値がある つまらない」と打ち込んでしまう読者の心理について考えてみたいと思います。
「マンガ大賞2025 第9位」「このマンガがすごい!2025 オトコ編 第8位」など、多くの主要な漫画賞にランクインし高く評価されている作品である一方で、序盤や中盤の展開に違和感を覚え、ページをめくる手が止まってしまう人がいるのも事実です。
ここでは、読者を立ち止まらせてしまう具体的な理由について、いくつかの視点から深掘りしていきますね。
主人公の急なキャラ変と痛いセリフ回し
序盤の抑圧から一転した攻撃性
この作品に対する批判的な意見として最もよく目にするのが、主人公である伊東紀理(いとうきり)の突然のキャラクター変化についてです。
物語の冒頭、彼女はブラック企業でのパワハラやセクハラ、そして彼氏からのモラハラにひたすら耐え忍ぶ、いわゆる「限界OL」として描かれています。読者はそんな彼女の姿に同情し、いつか勇気を出して立ち上がってほしいと感情移入しながら読み進めるはずです。
しかし、ある出来事をきっかけに吹っ切れた彼女は、突如として極めて攻撃的でエキセントリックな性格へと変貌を遂げます。それまでオドオドしていた人物が、急に周囲に対して暴言を吐き、時には暴力的な手段にまで出るそのギャップの激しさに、「まるで二重人格みたいでついていけない」と戸惑ってしまう読者が多いのかなと思います。
SNSミーム多用のセリフが合わない読者も
キャラ変に加えて、読者を冷めさせてしまう大きな要因となっているのが、彼女の独特な「セリフ回し」です。
吹っ切れた後の彼女は、「25歳児だが?」「知らんがな選手権優勝」といった、X(旧Twitter)のミームやインターネットスラング、いわゆるオタク構文を多用して相手を煽るようになります。
シリアスな人間ドラマや、リアルな復讐劇のカタルシスを期待していた読者からすると、このノリは少し「痛い」と感じられてしまうのかもしれません。世代間のギャップもあると思いますが、深刻な状況下で繰り出されるネットスラングの連続に、「中学生のような精神性に見えてしまってスベっている」と厳しい評価を下す人がいるのも無理はないかなと感じます。
実は伏線?本来の性格への回帰
序盤のキャラ変に違和感を覚えるのは当然ですが、実は物語を読み進めていくと、彼女の生い立ちや過去が明らかになり、この「豹変」にもきちんとした理由があることが分かってきます。彼女は狂ってしまったのではなく、過去のトラウマから自分を偽っていただけで、本来の豪快な性格を取り戻しただけ、という伏線回収的な側面があるんです。ただ、その事実が提示される前に離脱してしまう人が多いのが、少しもったいないところですね。
自業自得に感じる不幸と復讐への違和感
なぜブラック企業を辞めないのかという疑問
もうひとつ、読者がこの作品に入り込めない理由として挙げられるのが、主人公が置かれている悲惨な状況に対する「自己責任論」的な視点です。
現代は転職もしやすく、働き方の選択肢も多様化していますよね。そうした現代の感覚からすると、「そんなにひどいセクハラやパワハラが横行するブラック企業なら、さっさと辞めてしまえばいいのに」と、冷静なツッコミを入れてしまう読者が少なくありません。
「人の役に立ちたい」という自己犠牲の精神は立派に見えますが、厳しい見方をすれば、自分で環境を変える努力を怠り、ただ流されて思考停止しているだけとも取れてしまいます。そのため、彼女の不幸を「自業自得」だと冷めた目で見てしまう人が一定数いるのだと思います。
モラハラ彼氏への従属と自己責任論
職場だけでなく、プライベートでのモラハラ彼氏との関係性についても同様のことが言えます。
客観的に見て魅力が全くない、むしろ有害でしかない彼氏の言いなりになり、都合よく搾取され続けている彼女の姿に、共感よりも苛立ちを覚えてしまうのです。
「嫌なら別れればいいのに、自分から依存しているだけでは?」という厳しい見方をしてしまうと、その後に彼女がどれだけ派手な仕返しをしたとしても、「自分が蒔いた種を荒っぽく刈り取っているだけ」に映ってしまいます。
爽快感よりもムナクソ感が勝つ瞬間
限界を迎えた主人公が、周囲の嫌味な人物に対して同レベルの暴言を吐き散らす姿は、見方によっては「同じ穴のムジナ」に堕ちているようにも見えます。仕返しをしたことに対する罪悪感や葛藤があまり描かれないため、弱者の反撃としてのリアリティが薄れ、結果としてスカッとする爽快感よりも「なんだかムナクソ悪いな」という感情が先行してしまうのかもしれませんね。
中盤のリスト消化によるストーリー停滞
スピード感あふれる序盤からのブレーキ
物語の序盤は、理不尽な環境からの脱却と痛快な反撃が描かれ、非常にスピーディーで引き込まれる展開が続きます。
しかし、単行本の2巻から3巻へと進む中盤あたりから、主人公が作成した「決算リスト(バケットリスト)」の消化がメインのストーリーへと移行していきます。例えば、公営ギャンブルに挑戦してみたり、ひょんなことから演劇に参加することになったりと、日常的で少し寄り道のようなエピソードが続くようになります。
ここで、序盤のスピード感を期待していた読者は、急にブレーキを踏まれたような感覚に陥ることが多いようです。
ひき逃げ犯探しという本筋の放置
中盤のエピソード自体が悪いわけではないのですが、読者が最も気になっているサスペンス要素である「自身の家族を壊したひき逃げ犯探し」という本筋が、なかなか進展しないことがフラストレーションに繋がっています。
「いつになったら核心に迫るの?」「今の演劇の話は、最終的な決算とどう関係があるの?」と、物語の目的が見えにくくなってしまうんですね。
この停滞感や、どこかで見たことがあるような設定の連続によって、「話の焦点がブレている」と感じ、途中で読むのをやめてしまう離脱のトリガーになっていると考えられます。
筆者が実際に読んで感じた序盤のモヤモヤ
私が感じた主人公への苛立ち
ここまでは一般的な読者の反応を分析してきましたが、私自身が実際にこの作品を読んだときにどう感じたかについてもお話しさせてください。
正直にお伝えすると、私も1巻を読んでいる最中は、少なからずモヤモヤを抱えていた一人です。ブラック企業での度を越えたパワハラや、モラハラ彼氏にただただ搾取される主人公・紀理の姿を見て、「いくらなんでも、もっと自分を大切にして!」「なぜ逃げないの?」と、もどかしさで胸が苦しくなりました。
そして、彼女が臓器提供カードをきっかけに「覚醒」したあとの反撃シーン。スカッとする反面、「知らんがな選手権優勝」といった独特のネットスラングを連発するその極端な振る舞いに、「うーん、ちょっと私には合わないノリかも…」と、正直少し引いてしまった瞬間があったのも事実です。
共感しきれないまま読み進めた理由
それでも私が途中で投げ出さずに読み進められたのは、彼女のエキセントリックな行動の裏に、ヒリヒリするような「生への執着」と「不器用さ」を感じたからです。
彼女が周囲に当たり散らす姿は、ただ暴走しているのではなく、これ以上傷つかないために分厚い鎧を着込み、必死に道化を演じているように見えたんですよね。リストを消化していく過程で、恩師との再会や演劇への挑戦を通して、彼女が少しずつ自分の感情を取り戻していく姿には、妙な生々しさがありました。
モヤモヤが解消される瞬間のカタルシス
そして中盤以降、彼女の生い立ちや家族のトラウマが明かされたとき、序盤に感じていたすべての違和感がパズルのピースのようにカチッとハマりました。「ああ、彼女は狂ってしまったのではなく、元々の自分を取り戻そうともがいていたんだ」と気づいた瞬間、物語の解像度がグッと上がり、一気に引き込まれたのです。序盤のモヤモヤこそが、後半の圧倒的なカタルシスを際立たせる見事なスパイスだったのだと、完結まで読んで深く納得させられました。
検索時に混入する別作品のレビューに注意
全く違うあらすじの批判が見られる理由
少し余談になりますが、この作品のレビューや感想をネットで検索していると、時折とても奇妙な批判意見を目にすることがあります。
例えば、「人のドレスを盗むくらい悪い性格なのに、実は姉思いだったとか言われても絶対に受け入れられない」とか、「妹の性格変更が酷すぎて冷めた」といった内容です。
本作を読んだことがある方ならすぐにお分かりいただけると思いますが、『この世は戦う価値がある』には、ドレスを盗むようなエピソードも、姉妹のドロドロした確執も登場しません。
悪役令嬢ものと間違えられやすい?
これはおそらく、検索エンジンのアルゴリズムの都合で、タイトルが似ていたり、同じようなテーマを持つ全く別の漫画(例えば、悪役令嬢ものやファンタジー系の復讐劇など)のレビューが、ノイズとして混入してしまっている可能性が高いです。
ネット上の評判を調べる際は、こうした無関係なノイズに惑わされないよう、正しい情報を見極めるポイントとして頭の片隅に置いておいていただければと思います。
『この世は戦う価値がある』はつまらない?結末と魅力
ここまで、作品に対してネガティブな印象を抱かれやすいポイントを解説してきました。しかし、それでもなおこの作品が多くの人に熱狂的に支持され、マンガ大賞にノミネートされるほどの評価を得ているのには、確固たる理由があります。
ここからは、「この世は戦う価値があるつまらない」というキーワードで検索した方に向けて、物語がどのような結末を迎えたのか、そして作品の根底に流れる真の魅力についてお伝えしていきます。
打ち切りではなく全5巻で完結した結末
打ち切り説が流れた背景と5巻という巻数
ネットのサジェストに「打ち切り」という言葉が出てくると、「人気がなくて途中で終わってしまったのかな?」と不安になりますよね。
結論から言うと、この作品は打ち切りではなく、全5巻で綺麗に完結しています。サクッと読める名作を探している方には嬉しい長さですよね。
ではなぜ打ち切りの噂が流れたのかというと、5巻という比較的短い巻数で終了したことや、中盤で演劇やギャンブルといったサブエピソードに時間を割いた後、急展開で最終章に突入したため、「少し駆け足気味に終わった」と感じた読者がいたことが原因だと推測されます。
最終巻で見せた急展開とネタバレ無しの感想
最終巻となる第5巻では、それまで停滞していた「ひき逃げ犯探し」という本筋が一気に動き出します。
時効が迫る中、紀理は交通ジャーナリストの北島という人物に連絡を取り、夜の街での父親の目撃談を追うなど、自身の家族を崩壊させた事件の核心へと迫っていきます。
ネタバレになるので詳細は伏せますが、彼女は単に犯人を見つけて復讐を果たすという表面的な解決にとどまらず、自分の根源的なトラウマである「過去の深い傷」と正面から向き合うことになります。
| 巻数 | 物語の主な展開(目安) |
|---|---|
| 第1巻 | 限界OLの覚醒とブラック企業・彼氏への反撃 |
| 第2巻〜第3巻 | 決算リストの消化(ギャンブル、演劇など自己探求) |
| 第4巻〜第5巻 | 家族のトラウマとの対峙、ひき逃げ事件の真相と結末 |
綺麗にまとまったハッピーエンドの評価
最終的に彼女は、散り散りになってしまった家族の「決算」を完了させます。
他人の評価に依存していた都合の良い自分を完全に捨て去り、「自分の人生に価値はあったのか」という問いに対して、かつてのように快活で豪快な、本来の自分を取り戻すという結末を迎えます。
痛みを伴う自己探求のプロセスを経てたどり着いたその姿は、非常に前向きでカタルシスのあるハッピーエンドとして、最後まで読み切った読者から高い評価を得ていますよ。
タイトルの元ネタは映画『セブン』と文豪の名言
ヘミングウェイ「誰がために鐘は鳴る」の一節
『この世は戦う価値がある』という少し長く、インパクトのあるタイトルですが、実はこれには明確な元ネタが存在します。
大元となっているのは、アメリカの文豪アーネスト・ヘミングウェイの小説『誰がために鐘は鳴る』に登場する有名な一節です。
「The world is a fine place and worth the fighting for.(この世は素晴らしい。戦うだけの価値はある)」という言葉ですね。
映画『セブン』での引用と深い意味
そして、現代のポップカルチャーにおいてこの言葉を決定的に有名にしたのが、デヴィッド・フィンチャー監督による1995年のサスペンス映画『セブン(Se7en)』のラストシーンです。
映画の終盤、凄惨な事件によって絶望のどん底に突き落とされた若手刑事ミルズの姿を見つめながら、退職を控えたベテラン刑事のサマセットが心の中で独白するシーンがあります。
そこでサマセットは、「ヘミングウェイが書いていた。『この世は素晴らしい、戦う価値がある』と。後半だけは賛成だ」と締めくくるのです。
クソみたいな世界でも抗うというテーマ
映画におけるサマセットは、腐敗しきった都市と人間の無関心に絶望し、世界から逃げ出そうとしていた人物です。しかし、最後まで事件を見届けた結果、この腐った世の中と戦い続けることを決意します。「世界は決して素晴らしくなどないが、それでも絶望に抗い、戦う価値はある」という強烈な宣言です。
漫画の主人公・紀理も、まさに同じ精神的軌跡を辿っています。理不尽が蔓延る世界に一度は絶望した彼女が、自らの手で自由を勝ち取り、戦うことを決意する。このタイトルは、世界を無邪気に讃えるものではなく、「クソみたいな世界であっても、自分自身の尊厳を取り戻すための戦いには価値がある」という、非常にタフで泥臭いヒューマニズムの宣言なのだと思います。
アドラー心理学から読み解く自己受容の過程
役に立たなければ価値がないという呪縛
作品の根底に流れる心理描写を紐解くと、アドラー心理学に通底する概念が色濃く反映されていることに気づきます。
序盤の紀理は、「人の役に立たなければ自分には価値がない」「自分の価値は他人の評価で決まる」という強迫観念に囚われていました。これは、他者の基準に完全に依存した生き方です。
アドラー心理学では、「役に立つかどうか(有用性)」という基準で自分や他者を評価していると、人間は必然的に生きづらくなるとされています。社会においてすぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなる運命にあり、常に他者と有用性を競争していれば、世界は「敵に満ちた危険な場所」にしか見えなくなってしまうからです。
臓器提供カードによる有用性のアウトソーシング
では、紀理はどうやってその呪縛から逃れたのでしょうか。
彼女にとっての転機は、「臓器提供意思表示カード」に署名したことでした。
死後に自分の臓器が他者の役に立つことが確定したのだから、残りの人生は自分のために好きに生きていい、という極端な論理です。
これは心理学的に見ると、「物理的な有用性(役に立つこと)」を死後の自分に完全にアウトソーシング(外部委託)するという、強烈なパラダイムシフトを起こしたと言えます。
※補足:各種制度について
作中に登場する臓器提供意思表示カード等の制度は、現実の社会の仕組みをモチーフにしていますが、実際の制度の詳細や運用ルールは変更される可能性があります。正確な情報は公式サイト(出典:公益社団法人日本臓器移植ネットワーク)をご確認ください。また、実際のお手続き等にあたっての最終的な判断は専門家にご相談ください。
他人の評価から自分のための人生へ
このパラダイムシフトによって、彼女は生きている現在の自分を「有用性」という呪縛から解放しました。
「他人の役に立つから価値がある」のではなく、「存在しているだけで価値があり、自分のために生きる(意味へのシフト)」という状態へ移行したのです。
一見すると突拍子もない行動に見えますが、心理学的なアプローチから見れば、非常に理にかなった自己受容と、認知の歪みの修正ステップを踏んでいることが分かります。この奥深さが、大人読者の心を掴んで離さない理由の一つかなと思います。
虚無感を抱える現代人に刺さる圧倒的共感
この世がつまらないと感じる時の対策として
この漫画は、単なるフィクションの娯楽作品という枠を超えて、「現実の世界そのものがつまらない」「生きる意味がわからず虚無感に襲われている」という、リアルな悩みを抱える現代人に対する一種のソリューション(解決策)としても機能しています。
毎日ただ我慢して自己をすり減らしている私たちにとって、主人公が実践した自己治癒のプロセスは、驚くほど実践的なヒントに満ちているんです。
主人公が実践した自己治癒のステップ
虚無感から抜け出すための心理学的なステップと、作中で紀理が取った行動をリンクさせて見てみましょう。なお、ここでお伝えするステップはあくまで一般的な目安です。
| 虚無感対策のステップ | 主人公(紀理)の行動 |
|---|---|
| 1. 感情を認め、本当の気持ちを探る | 自己犠牲の限界を認め、ノートにリストを書き出して自分のモヤモヤを客観視した。 |
| 2. 評価基準を「他人」から「自分」へ | 会社や彼氏との縁を物理的に断ち切り、他人の顔色をうかがう生活をリセットした。 |
| 3. セルフケアと休息の徹底 | 無断欠勤中にバットを買い、昼間から酒を飲み、涙を流して感情を解放した。 |
| 4. 小さな目標(バケットリスト)の設定 | 壮大な目標ではなく、手の届く「貸し借りリスト」を作り、それを一つずつクリアして自己効力感を高めた。 |
※心身の健康に関するご注意
上記のアプローチは作品から読み取れる自己治癒のプロセスであり、医学的・専門的な治療法ではありません。強い虚無感やストレスで日常生活に支障をきたしている場合は、決して無理をせず、最終的な判断は心療内科やカウンセラーなどの専門家にご相談ください(出典:厚生労働省『こころもメンテしよう ~若者を支えるメンタルヘルスサイト~』)。
漫画を通して得られるセラピー効果
他人の顔色を窺い、理不尽に耐え、自己犠牲を強いられている現代人が、主人公がすべてを投げ打って社会のしがらみを破壊する姿に強烈な爽快感(スカッと感)を見出すのは当然のことです。
しかしそれ以上に、リストを消化しながら「自分の人生に価値はあったのか」を確かめ、喪失した本来の自分を取り戻していく過程を疑似体験することで、読者自身も癒やされていくようなセラピー効果があるのだと思います。
異世界転生などのファンタジーに逃避するのではなく、現実の泥沼の中でもがく主人公の姿は、無為に死を選ぶ一歩手前の人間に、奇妙で力強い活力を与えてくれます。
まとめ:『この世は戦う価値がある』は本当につまらないのか
人を選ぶ作品であることは間違いない
ここまで色々な角度から作品を分析してきましたが、いかがでしたでしょうか。
結論として、「この世は戦う価値があるつまらない」と感じる人がいるのは、ある意味で当然のことかなと思います。
序盤の痛々しいセリフ回しや、エキセントリックな行動、そして中盤の少し寄り道に感じる展開など、読者の期待を裏切るような要素が含まれているため、かなり人を選ぶ作品であることは間違いありません。
最後まで読めば見方が180度変わるかも
ですが、もし序盤のモヤモヤで読むのをやめてしまった方がいるなら、ぜひもう一度、彼女の「痛々しさ」の裏にある悲鳴に耳を傾けながら、最後まで読み進めてみてほしいなと思います。
彼女がなぜあんなにもひねくれる必要があったのか、その防衛機制の裏にある本当の優しさと脆さに気づいたとき、この作品に対する評価は180度変わるはずです。
全5巻というコンパクトなボリュームの中で、一人の人間がどん底から這い上がり、自己を受容して人生の決算を終えるまでの軌跡が、見事に描き切られています。
あなたにとっての戦う価値を見つけてほしい
世界は決して美しいばかりではなく、理不尽で、残酷で、クソみたいなことの連続かもしれません。
それでも、この漫画のタイトルのように、自分自身の尊厳を守るため、そして自分の人生を自分のために生きるための戦いには、絶対的な価値があります。
虚無感に押しつぶされそうになったとき、あるいは現実に疲れてしまったとき、伊東紀理という不器用で強烈な主人公の生き様が、あなたの心に小さな火を灯してくれるかもしれませんね。
気になった方は、ぜひ実際に手に取って、その目で彼女の結末を見届けてみてください。





